前回書いた中での一番きつかったプロジェクトまでのお話。
ポンコツは1994年から15年強ほど、主にビデオゲーム周辺のプログラマーをしておりました。この業界、当時は会社を変わることでステップアップを行う感じで、1年から3年位で会社を移ったりしておりました。
私がやってた仕事は決められた期間で製品をつくると言うオーソドックスなものがほとんどです。
一回のプロジェクトがゆっくりスクワット一回に相当するような感じです。プロジェクトの最初から最後までいれば半年から1年強って期間が多かったです。
1996年から心身統一合氣道と言うのを休み休み10年弱。仕事柄納品近くなったりすると数ヶ月行けなかったり、間が開くと行きづらくなったりと。
最後の数年は子ども生まれましたー。とか、子供を好きに野放しにして館長と話をするなど稽古らしい稽古はしてなかったんですが。
2003年には道場で一緒だった妻と結婚。2005年、2007年に長女、次女を授かっております。
仕事柄ハードな環境、時期などもあるのですが、周りの人には常に恵まれていたので なんとかよっておりました。
転機になったのは2004年からのプロジェクトです。これは余所で失敗したプロジェクトを貰ってきて所属していた会社で作り直すってものでした。うちでも一回失敗して、仕切り直してからの再スタートと言う感じで2005年あたりに私の中での負荷のピークがやってきました。出向になって通勤に2時間弱かかるようになったのも、なにげにボディーブローのように効いてきました。
私の中ではかつてない高負荷の中でのゆっくりスクワット、しかし今まで習ったり練習してきた能力を駆使しながら、よく分からないけど動かせる場所は動かしながら、なんとかかんとか下まで行って、立ち始めしばらくの一番きつい所で意識外からの強烈な一撃が、、、でも、なんやかんやで終えることができました。
このころ、ゲームが誰の何に役立つんだろう?て言うか毒にしかならないんじゃないか?と考えていたので、連泊しながら身を削って作るものが毒って何なのって考えも強くて、、、ベースの考え大事、ダメージ抜けなくなっちゃいます。
通勤時間長かったので疲労も大きかったんですが精神世界やら宗教やら本は色々読めました。もがいてるので相当ジャンルは偏ってます。後は少ししかない休みの時間に回復するにはヒーリングしかない!と受けに行ったりと怪しげな世界も少々経験しております。きっと少々なはず。
強烈な一撃って言うのは、泊まりが続いてるときに(ずっと続いてたんだけど(笑))
妻が乳腺炎(高熱が出るやつ)で40度くらい出て生後3ヶ月の長女とダウン。妻のお母さんが目眩で入院と、、、上手くできていて重なるんですよねー。こう言うの。
ポンコツは氣を抜くと毒なんじゃないかと感じてるものを作ってたりして、家族が大変な時にこんなんじゃぁ、、、みたいな感じでテンヤワンヤでした。
なんやかんやプロジェクトは終わったのですが、お世話になってた会社も、ヘルプしてもらった会社もしばらくして解散となりました。
自分のハードさもありますが、会社にまでダメージが行ったプロジェクトに関わっていた事もあって未だにトラウマの越えられない壁です。
ただ、前回書いたような心の変化で、越えられない壁は超えられないけど、取りあえず置いておいて壁のないとこ通ろうと思えたのはホントに大きいです。
システマまじヤバい。
次はハードな山を超えたものの、ずっこけたまま動けなくなったお話